盲亀浮木(もうきふぼく)

昨日に続いて、今日も暑い一日になりました。
まるで初夏を思わすような暑さに、終日半袖で過ごしました。
今日5月5日は、こどもの日。
子供と言えば、我が家にも二人の娘がいますが、長女が誕生したすぐ後に読んだ本に書かれていた「盲亀浮木」の話が忘れられません。
その話は、人間として生まれてくることがどれほど尊いことかを教えてくれる話です。
それは、お釈迦様の教えを弟子たちがまとめたとされる「雑阿含経(ぞうあごんきょう)」という経典の中に出てくる「盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)」という話です。

ある時、お釈迦様が阿難(あなん)という弟子に、「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」と尋ねられました。
阿難が「大変喜んでおります」と答えると、お釈迦様は「盲亀浮木の譬」のお話をなさりました。
 
果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀(盲亀)がいる。
その盲亀は、百年に一度、海面に顔を出すという。
広い海には一本の丸太が浮いている。
丸太の真ん中には小さな穴があいている。
その丸太は風の流れのままに、西へ東へ、南へ北へと漂っている。
お釈迦様は阿難に尋ねます。
「阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が浮かび上がった時に、丸太の真ん中にあいた穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか。」
阿難は驚いて、答えます。
「お釈迦様、そんなことはとても考えられません」
「それでは、絶対にないと言い切れるか」とお釈迦様が念を押されます。
「何億年、何兆年の間には、ひょっとしたら頭を入れることがあるかもしれません。しかし、無いと言ってもいいくらい難しいことです。」
と阿難が答えると、お釈迦様は、
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太の穴に頭を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
とお話しされた。

この話から転じて、盲亀浮木とは「めったにない」という意味で使われます。
私達は人間に生まれたことを当然のように思っていますが、人間としてこの世に生まれてくれることは、何億年、何兆年に一度、巡ってくるかどうかというくらい、有り難いことなのです。
正に奇跡に近いくらいの確立なのです。
それなのに、日常生活ではそのことをすっかり忘れ、ついつい注意ばかりしてしまいます。
本当は、人間として生まれてきてくれたことに、感謝しなければいけないのに・・・。
こどもの日を機会に、奇跡に近いこの出会いに感謝し、小言を少しは控えたいと思います。

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