今日は、7月とは思えない肌寒い一日となりました。
こういう日は風邪を引きやすいので、気をつけないといけませんね。
私は現在52才です。
人生も折り返しを過ぎ、年齢を重ねて、その分だけ知っていることや知識は身につけているつもりでいました。
とりわけ日本語については、ある程度以上の単語を知ってるつもりでいました。
もちろん、まだまだ知らない日本語や読めない漢字などはあります。
それでも、日常生活においては、意味が全く分からない日本語と出会うことはそうそう多くはありません。
恥ずかしながら、この年齢になって初めて知った言葉について、今日は書きたいと思います。
先日のキックオフセミナー(1年生)のICT研修を見学していたときの出来事です。
ICT研修では「デジタル社会のリスク」というテーマで、担当の先生が説明をしていました。
講義だけでなく、iPadを実際に使いながら、説明は進んでいきました。
途中でペアワークやグループワークを入れながら、デジタル社会の危険性について意見交換と情報共有が続きました。
そして、講義の最後に課題が出されました。
課題は、「デジタル社会のリスク」について、iPadを使ってポスターを作成し、期日までにオンラインで提出するというものでした。
そのポスターの一例として、先生方がiPadで作成したポスターが、プロジェクターで大写しにされました。
そのうちの一つとして、国語科の齊藤(優)先生が作成したポスターは、次のようなものでした。
このポスターにある「剽窃」という言葉について、恥ずかしながら、私は正確な読み方も、意味も全く分かりませんでした。
教師としては大変恥ずかしいことですが、今まで見たことも聞いたこともない言葉でした。
そのまま流してしまうことは簡単でしたが、どうしてもその読み方と正確な意味を知りたかったので、その場にいた齊藤(優)先生に聞いてみました。
すると、「ひょうせつ」と読み、「他人の作品や論文を盗んで、クレジット表示することなく、自分のものとして発表すること」だと教えてくれました。
特にインターネットが普及した現代社会においては、論文などの作成において、深刻な問題になっていることも付け加えてくれました。
とても恥ずかしい気持ちになりましたが、同時に恥を忍んで聞いてよかったと思いました。
これだけ一般化しつつある言葉を知らないままいることの方が、聞くことよりも余程恥ずかしいと思ったのです。
今後もインターネットの進化は益々加速化していくことでしょう。
その結果、剽窃による被害も増えてくることでしょう。
そんな時に、この言葉を知らなかった場面を想像したら、思わず顔が赤くなってしまいました。
私たち教師という職業は、時に知らないことに遭遇しながらも、立場上、聞くに聞けないときが多いものです。
私自身も、そうしてきたことが少なくありません。
しかし、知らないことを勇気を持って聞くことは、何ら恥じることではなく、むしろそうした姿勢を生徒たちへ示すことも、ある種の教育なのかもしれません。
正に「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」を身をもって教える材料になるはずです。
もちろん何でもかんでも聞けばよいということではありません。
一社会人として、教えるプロとして、当然身につけておくべき知識を知らないのでは話になりませんが…。
そうしたことに改めて気付かせてくれた今回の経験でした。
いくつになっても、勉強、勉強です。
今後もこの気持ちを忘れずに、精進していきたいと思います。