人は何のために生きるのか。

久しぶりに晴れ上がった気持ちのよい一日になりました。
こうなると暑さがこたえます。
涼しい日の後の暑い日は、特に熱中症に注意しないといけないですね。

ここ最近、命に関わる悲しいニュースを目にすることが多くあります。
病気や災害で失われた命、事故や犯罪で奪われた命、誰かに奪われてしまった命、自ら閉ざした命…。
そんな時、いつも考えることがあります。
「人は何のために生きるのか…」。
皆さんはそんなことを考えたことはありませんか。
辛い経験をした時、誰かに傷つけられた時、大きな失敗をしてしまった時などには、そんなことを考えることがあるかもしれませんね。
いっそのこと逃げ出してしまったり、それこそこの世界からいなくなってしまいたいと思うようなこともあるかもしれません。
自分で解決できることもあれば、誰にも解決できないこともあるでしょう。
あるいは、誰かの信頼を失ってしまった時などは、八方塞がりになってどうしようもなくなってしまいます。
50年以上生きていれば、私もそんな経験をしたことは一度や二度ではありません。
その度に、逃げずに何とか踏ん張って、何とかここまでその困難を乗り越えてきました。
そして、今があります。
もしかしたら「生きる」ということは、この繰り返しなのかもしれません。
「人間万事塞翁が馬」、私の好きな言葉です。
人生の幸不幸は予測できないものだから、一つの結果で一喜一憂してはいけない、とその言葉は教えてくれます。

「人は何のために生きるのか…」という質問に対して、私は自分なりの答えを持っています。
私にとって、その質問への答えは、「人はよりよく生きるために、生きる」ということです。
「よりよく生きるため」とはどういうことでしょうか。
それを考えるためには、どういう生き方が「よい生き方」なのかを自分の中でしっかりと定めていなければなりません。
どういう生き方が「よい生き方」なのかを定めるためには、自分にとっての「幸せの価値観」がとても重要になります。
「幸せの価値観」は人によって大きく異なります。
「年収の高い仕事に就く」「大きな家に住む」「海外旅行に行く」「素敵なパートナーを得る」などの物質的な価値観。
「誰かの役に立つ」「誰かを喜ばせる」「誰かを支える」「何かを大切に守る」といった精神的な価値観。
その自分の価値観に基づいて、自分にとっての「幸せ」を明確にし、その実現のために「生きる」ことこそが「よりよく生きるために、生きる」ということです。
そのことを含めて言い換えれば、「人は幸せになるために、生きる」とも言えます。

その部分さえぶれなければ、他人との比較や他人からの評価、批判そして陰口などを気にせず聞き流せるはずです。
しかし、昔と異なり、現代社会はツイッターやフェイスブックなどのSNSから強い影響を受けざるを得ない社会です。
聞きたくなくても、見たくなくても、ネガティブな情報が入ってきてしまう社会です。
その社会の中で、SNSに踊らされず、自分の価値観に基づいて、自分自身を見失わないためには、強い意志を持たなければなりません。
そして、その強い意志を持って、毎日を過ごすことこそが「生きる」ということではないでしょうか。
つまり、自分にとっての「幸せ」を、強い意志を持って実現させるために毎日を過ごすことが、「生きる」ということだと思います。
そして、そこにゴールはありません。
命が終わるその日が来るまで、生き続けていかなければならないのです。
命は限られた時間の中で、与えられたものです。
限られた時間の中だからこそ、与えられた命を大切にし、一生懸命に生き続けなければいけないのです。
「生きる」ということは、言うまでもなく辛さを伴います。
それでも、自分の「幸せの価値観」さえしっかり持っていれば、その辛さは苦でも何でもないはずです。
大事なことは、自分にとっての「幸せ」をしっかりと見つけることです。
そして、与えられた大切な命を、自分の「幸せ」を実現させるために、精一杯活かしていきましょう。
よりよく生きるために活かしていきましょう。

「幸せはいつも自分の心が決める」
私の大好きなもうひとつの言葉を贈ります。

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