広島原爆の日に想う。

今日8月6日、広島では、被爆から75年となる「原爆の日」を迎えました。
毎年、平和記念公園で行われる平和記念式典は、新型コロナウイルスの影響により、規模を縮小して行われました。
被爆により亡くなられた皆様のご冥福を改めてお祈りすると共に、今なお後遺症等で苦しんでいる皆様へのお見舞いを申し上げます。

今日の朝日新聞「ひと」欄に、被爆者の話を聞く会を続けるシンガーソングライター、HIPPY(ヒッピー)さんが取り上げられていました。以下に抜粋して、ご紹介します。

【以下、朝日新聞8月6日「ひと」より】
 3年前の初夏の夜、がんと闘う友人から病床に呼ばれた。「手伝ってくれんか。戻るから、頼む」
 彼は広島原爆の「月命日」の毎月6日、広島市内のバーで被爆者の体験を聴く会を10年以上欠かさず催してきた。その運営を引き継ぐことに迷いはなかった。4日後、彼は37才で亡くなった。
 会に通い出したのは9年ほど前のことだ。バンド解散でソロに転向して暇を持て余し、なにげなくのぞいた。老いた体を震わせて、思いを吐露する被爆者たちの姿を目にして思った。「いずれ、この声が聞けなくなる」
 若者ら30~40人が被爆者の声に耳を傾ける。コロナ禍で春からはネット生配信に切り替えた。今月2日に配信した178回目の特別編は1千人以上が視聴した。
 広島市で生まれ、平和学習を受けたのに「原爆をわかっていなかった」。亡くなった祖父が被爆者だったことすら知らなかった。
 いま、被爆者に代わって体験を語る「被爆体験伝承者」になるための研修を受けている。建物疎開に出たまま帰らぬ姉を待つ被爆者の女性(83)から託された。「あなたの好きな形で伝えていって」
 その言葉に背中を押されて、この夏、「日々のハーモニー」という曲を動画で公開した。〈身近な今ある幸せ 気付こう 築こう〉。
あの友人が残した言葉に自らの思いを重ねて、力強く歌う。
 

この記事を読んで、真っ先に思い浮かんだのは、沼田鈴子さんのことでした。
沼田さんは、被爆体験の語り部として、多くの講演を行った方として有名な方です。
私も前職の旅行会社時代に、何度も村田さんのお話を聞かせて頂く機会がありました。
21才の時に広島で被爆し、片足を切断しながらも、懸命に生き抜いた生き様を何度も直接聞かせて頂きました。
すでに2011年にお亡くなりになっていますが、実体験に基づくお話は深く私の心の中に残されています。
HIPPYさんが言うように、こうした被爆体験を後世に伝える方が、どんどん少なくなっています。
年令のこともあり、伝承者がいなくなることは危機的状況ですが、何とか原爆の恐ろしさと、そこから這い上がる活力について、今後伝えていかなければならないことを、再認識しました。

その後、早速「日々のハーモニー」を聴いてみました。
曲を聴いただけでは、そのモチーフが「被爆」にあることは全く分かりませんでしたが、とても心に染みる、メッセージ性のある素敵なでした。
形はどうあれ、先人の生き様を次の世代に伝えることは、先に生まれた者の使命です。
広島原爆の日に当たり、自分にも何かできることが無いかを考えるきっかけとなりました。

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