極寒の地の思い出。

今日8月12日は、35年前に日本航空123便が墜落し、520名の方が犠牲となった日です。
墜落現場となった群馬県上野村御巣鷹の尾根には、今年も多くの遺族の方が慰霊に訪れていました。
改めて、この事故でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り致します。

昨日のブログでは、大学4年生で訪れた中国での極寒体験について書きました。
その時の体験について、もう少しだけ書きたいと思います。
昨日も書いたように、当時中国へ行くことになったきっかけは、「地球ジグザグ」というテレビ番組でした。
テレビ局へ送った履歴書と自己アピールによって、現地での生活を体験する「ジグザグ隊員」として採用されました。
訪問先の中国では、「蒸気機関車(SL)を運転する」ことを最終目標とし、滞在期間は10日間でした。
鉄道模型が趣味だった父親の影響もあり、SLには子供の頃から興味を持っていたので、出発前からとても楽しみにしていました。
実際に訪れた孫呉(そんご)という町は、中国東北地方の黒竜江省に位置し、戦前は満州と呼ばれた地区でもありました。
また、SLの発着地としても知られた町で、現地での滞在中、私は鉄道員の社員寮にホームステイしていました。
中国語がほとんど分からない私にとって、現地でのコミュニケーションはもっぱら筆談とボディランゲージでした。
ただ不思議なもので、漢字で書けば大抵のことは意味が通じて、あとは笑顔とやる気だけ乗り切りました。
寮の生活で一番印象に残っていることは、朝昼晩の食事の美味しさでした。
真っ先に覚えた中国語は、「おいしい」という意味の「好吃(ハオチー)」。
日本では食べたことのないような中国料理は、決して見栄えがよいものではありませんでしたが、本当に美味しいものばかりでした。
また、日本で人気の焼き餃子は現地には無く、基本は「ゆで餃子」で、こちらもとても美味しかったです。

鉄道員としての仕事は、蒸気機関車(SL)の整備と運航です。
孫呉(そんご)から黒河(こっか)までの4時間の運航が、与えられた業務です。
ご存じのように、SLは石炭をくべることによって蒸気を出し、それによって車輪を回すことで動力を産み出していきます。
そして、この「石炭くべ」が私に与えられた仕事なのですが、とにかくこの仕事がキツい!
腰は痛くなるは、腕は棒のようになるは、とにかくツラく、キツい仕事でした。
マイナス40℃の気温でも、汗をかいてしまう程の仕事でした。
この仕事を毎日繰り返している社員たちは、本当にたくましく、エネルギーに満ちあふれていました。
そこで過ごした10日間の中で、私が一番感激したことは、仕事をしている人たちの目の輝きでした。
SLを運行させることは、石炭で真っ黒になるキツく、ツラい仕事です。
しかし、社員の人たちは、その仕事に誇りを持っていて、目を輝かせて仕事に取り組んでいるのです。
当時、大学4年生であった私は、将来どんな仕事に就こうとも、誇りを持ってその仕事に取り組みたいと、心にを決めました。
その意味では、社会人として一番大事な基本的な精神を、中国でのSL体験で学びました。
その精神は、社会人となった私の中に「太い芯」として通り、今なお存在している社会人としての精神です。
当時の出演DVDは、仕事で壁にぶつかる時に見ては、勇気を貰い原点へ戻るきっかっけとしています。
残念ながら、その後現地を再訪する機会はありませんが、私にとっては、絶対に忘れられない大切な場所となっています。
今の自分が、目を輝かせながら仕事ができているか・・・、今回を機に改めて見つめ直したいと思いました。

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