この日を忘れない。

今日は3月11日。
東日本大震災から10年目の節目の日となりました。
今なお、行方が分からない2,500名を超える皆さんのご冥福をお祈りすると共に、避難生活を余儀なくされている皆さんの健康をお祈りするばかりです。
本校では毎朝7:30から朝の勤行を行っています。
本校の建学の精神は、浄土宗の開祖法然上人の教えに基づいていますので、朝のお勤めは大切な時間です。
生徒が参加することもありますが、通常は宗教主任の皆川先生と私でお勤めを行っています。
今朝は震災からの節目の日でしたので、普段とは異なる文言を加えてお唱えをさせていただきました。
念仏を唱えながら、10年前の今日が鮮明に蘇ってきました。

10年前の今日、私は学年主任として修学旅行の引率で沖縄の那覇空港にいました。
修学旅行の全ての行程を終えて、後は15:15分発の羽田空港行きの飛行機に乗るだけの状態で待機していました。
全員の生徒が搭乗を済ませ、シートベルトを着用しようとしていた正にその時に、地震の第一報が入りました。
引率の田中先生が出発報告のためにした電話で、東北地方での大きな地震発生を知ることとなりました。
その後、機内でも同様のアナウンスが流れ、機内は騒然となりました。
そして、一旦機内から降りることがアナウンスされました。
空港で待っている間、テレビで流されていた生々しい映像の数々は、今でも鮮明に頭に残っています。
長い時間、那覇空港で待機した後、羽田便の欠航が決まりました。
断片的に入ってくる被害の状況は、言葉を失うものばかりで、遠く離れた場所にいる現実に焦燥感が募るばかりでした。
最終的に那覇での延泊が決まり、バスでホテルへ移動することになりました。
非常事態の中でホテルを手配して下さった旅行会社の添乗員さんには、感謝の言葉しかありません。

刻々と明らかになってくる被害状況に、生徒たちの不安が手に取るように分かりました。
携帯電話の使用を全てオープンにし、直ちに家庭との連絡を図り、無事を知らせることが出来ました。
その日の宿泊ホテルは、本来は自衛隊の皆さんの納会のために準備されたホテルでした。
非常事態による自衛隊の派遣が決まったために、予約が取り消しとなったホテルに私たちは宿泊することになったのです。
その後も、復路の航空便の運航確認の作業が続きました。
とにかく東京までの航空便を確保しないことには、自宅に帰ることも出来ません。
錯綜する情報の中で、何とか朝一番の飛行機に搭乗できることが分かったのは、夜中の1:00過ぎでした。
引率の先生方と朝4:00に緊急の打ち合わせをして、全員の生徒と共に8:15発の羽田便に搭乗することが出来ました。
現地の被害状況はもちろん、深谷の学校の様子がとても気になりましたが、正直全員の生徒を無事に帰宅させることに必死で、目の前の事態の対処だけでいっぱいいっぱいでした。
何とか羽田空港までたどり着いて解散したものの、そこから先のJRが全く動いていない状況でした。
教員、生徒共に各自で自宅を試み、全員の帰宅を確認するまでに、長い時間がかかりました。
全ての確認が済み、ようやく自宅でひと息ついた時には、日付けが変わっていました。

被害が甚大だった東北地方の皆さんと比較すれば、命に関わることの無いような状況でしたが、そこにドラマがあったことは事実です。
日ごとに明らかになる被害状況を見て、胸がどんどん苦しくなっていったことが、昨日のことのように思い出されます。
実を言うと、今でも震災関連のテレビ番組や特集を見ることが出来ません。
現地にボランティアへ行ったこともありません。
なぜなら、現実を知ることが怖くて仕方がないからです。
それではいけないと思いながらも、10年という月日が経ってしまいました。
その間も募金活動や石巻の小学校への支援活動などを続けてきましたが、10年経った今、改めて自分が今できることに取り組んでいきたいと思っています。
現地でのボランティア活動など、現実を直視して参加したいと思っています。
コロナ禍で活動は制限されていますが、今の自分が出来ることにまっすぐに向き合っていきたいと、節目の日となった今日、改めて思いました。

「天災は忘れた頃にやって来る」
この言葉を忘れずに、学校と生徒の安全確保のために全力で努めながら、今の自分に出来ることに取り組んでいきたいと思います。

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