7月3日日曜日、今日も暑い休日となりました。
夕方のにわか雨で、暑さが少しだけ和らぎましたが、寝苦しい夜が続いています。
もともとクーラーがあまり得意ではないので、朝起きる時の身体のだるさに困ってしまいます。
ここ最近の不快感を少しでも切り替えようと、今日は散髪に行ってきました。
行き先は馴染みの床屋さんです。
生まれてこの方、美容院などには行ったこともなく、ほぼ丸刈りに近いほどの短髪なので、どこで髪の毛を切っても一緒だと思われがちですがこれが全く違うのです。
短い髪の毛だからこそ、そこには微妙なこだわりがあるのです。
子供の頃から基本的にはずっと丸刈り(坊主頭)で、中高大と年を重ねていっても大きくは変わっていません。
高校生の頃には一時的に色気づいて、髪の毛を伸ばそうとしたこともありましたが、自分のことは自分が一番よく分かっています。
髪を伸ばしたところで、全く似合わないことをすぐに自覚し、もとの短髪に戻しました。
床屋さんは何軒も試したり、変えたりしてきました。
毎回お願いする髪の長さや形は全く同じなのですが、すべて終わってみると微妙に仕上がりが違うのです。
言葉で表すのは非常に難しいのですが、どうもしっくりこない出来栄えなのです。
大体月に一回のペースで散髪をするのですが、一時期は毎回床屋さんを変えてみた時期もありました。
ようやく今お世話になっている床屋さんの担当の方と出会い、ここ8年ほどはずっと同じ方に髪を切っていただいています。
今日もいつもと同じようにお願いし、いつもと同じように気に入った仕上がりとなりました。
普段の私をご存知の方はお分かりかと思いますが、普段の私はかなりの短髪で、見方によっては坊主頭と言われてもおかしくないほどの長さです。
それでも絶対に許せないこだわりがあるのです。
分からない人には全く分からない些細なこだわりですが、担当のOさんはそれをしっかりと汲み取ってくれています。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私とOさんの「感性」が合っているのだと感じています。
同じことを言われても違う結果になるのは、その受け取り方が様々だということです。
それをどのように受け止めるかは、その人の「感性」が成せる技です。
ここに書いたのはただの髪型についてのことですが、「感性」が合う、合わないはとても重要なことだと思います。
自分以外は全て他人であると考えると、「感性」とはその人にしか分からないセンスです。
その感性=センスが近い人と何かをやると、自ずと目指すものが近くなってくるはずです。
お互いに細かい言葉は交わさなくても、自然と分かり合えているような感覚。
この感覚は作ろうと思っても、簡単に作れるものではありません。
だからこそ、それを補うために言葉があるのだと思います。
感性が近い人と出会えたとしたら、それはそれはラッキーなことだと思います。
たとえそうでなかっとしても、言葉を交わしながらそれぞれの感性を共有していくことが必要なのではないでしょうか。
そのためにも誰かとコミュニケーションをする時には、積極的に言葉を交わしていきたいと思います。