7月12日火曜日、今日は過ごしやすい一日になりました。
午後には断続的に雨も降ってきましたが、今週は雨がちの天気が続きそうです。
先週、安倍元首相が凶弾に倒れるという大変痛ましい事件が起こりました。
また、ロシアによるウクライナ進行は長期化の様相を呈しています。
このように暴力によって物事を解決する出来事を耳にするたびに、本当に心が痛み、胸が苦しくなってしまいます。
過去の恨みや辛みが消え去ることはないのかもしれませんが、それを暴力で解決することは決して許されることではありません。
こうした悲しい出来事に遭遇するときに、必ず頭に浮かぶお話があります。
それは、本校の建学の精神ともなっている浄土宗を開かれた法然上人の幼少時のお話しです。
法然上人は、美作国(現在の岡山県)でお生まれになりました。
幼名を勢至丸(せいしまる)と言い、武士であ る父の漆間時国(うるまのときくに)公、母の秦氏(はたうじ)のもとで健やかに成長されました。
勢至丸が9才の時、父である時国公は敵対していた勢力からの夜討ちを受け、命を落とされました。
その命の火が消え去ろうとする臨終の間際、父は子どもである勢至丸に次のように語られたそうです。
「敵の人を恨んではならない。もし、恨みの心をもったならば、その恨みは何世代にわたっても尽きることがない」と。
恨みは恨みを呼び、憎しみは憎しみしか呼ばないことを父は悟っていたのでしょう。
父はこの苦悩の連鎖から抜け出すことを子に求め、その命を受けた勢至丸は出家しました。
そして、永年の修行を通して父の遺言通りの人生を送られ、その到達点として浄土宗を開かれました。
怨みは怨みによって鎮まらない、怨みを忘れてはじめて怨みは鎮まる。
頭では十分に理解できることですが、自分が当事者となったときに果たしてこのことを実践できるでしょうか。
自分が受けた苦しみを自ら癒やし、自分の中で納めて整理することは本当に困難なことです。
しかし、こうした想いを行動に移していかない限り、悲惨な出来事に終わりはありません。
人種や国籍、思想や信念を超えて、世界が平和に向かっていくためには、乗り越えなければいけない試練です。
このような法然上人の教えを建学の精神としていることを自覚し、日々の日常を大切に過ごしていくことを改めて決意しました。
お亡くなりになった皆様のご冥福をお祈りすると共に、こうした悲劇が繰り返されないよう願うばかりです。
一日も早く、平和な世界が再び訪れることを祈っています。