全国小・中学校作文コンクール県審査 最優秀作品の一つとして、県内の私立小学校に通う5年生児童の作品が今朝の読売新聞朝刊に掲載されました。最後の部分を抜粋します。
世界にはこんなにも戦争や核爆弾の悲劇を知っている人がいるのに、なぜ戦争を止められないのか。家の近くに突然爆弾が落ち、自宅からスーツケース一つだけをもって慌てて逃げてきたポリナのことを思うと胸が苦しくなる。私はポリナとは同じ立場ではないが、想像して寄り添って一緒に考えることはできる。もし私がポリナと友達でなかったら、私は自分には関係のないことだと何も知らず何も考えないで毎日を過ごしていたかもしれない。世の中を変えようとするときの一番の敵は「無関心」だと気づいた。
福井県の敦賀では、「人道の港 敦賀無ムゼウム」に行った。私はルクセンブルクに滞在中、外交官の杉原千畝(ちうね)さんがユダヤ人にビザを発行したリトアニアの「杉原記念館」を訪問した。ユダヤ人はその後、杉原さんが発行したビザを持って、船で敦賀に向かったということを知り、敦賀の街を一度見に行きたいと思っていた。敦賀では、現在のJTBの職員であった大迫辰雄さんがユダヤ人をロシアのウラジオストクから日本の敦賀に運ぶ任務を全うしたことや、敦賀の人たちが戦時中であってもユダヤ人を温かく迎えたことを知った。杉原千畝さんが発行した命のビザは、困っている人を放っておけない他の人たちにより、次々と受け継がれていた。
私はこの三年間を振り返って、ルクセンブルクでの友達との出会いが私の視野を広げてくれたと感じている。過去の歴史により、世界には日本を憎んでいるひとがいると知ったことも、私にとってはかけがえのない経験だ。
私は中学生になったら、英語だけでなくフランス語をもう一度勉強したい。なぜなら、より多くの言語を使える方がより多くの人々と分かり合えると考えるからだ。それから、もっと日本や世界の歴史を学びたい。意見や気持ちを伝えるためには言語はとても大事だ。しかし、本当の意味で分かりあうためには、日本や相手の国の歴史を理解して、相手の立場で考えることも必要だと思うからだ。
戦争が終わったら、私はウクライナに行ってみたい。街や人々は傷ついているが、ウクライナはとても美しい国だとポリナは教えてくれた。この夏、ポリナのたった五十セントのクッキーの写真一枚が私の心を大きく揺さぶったように、ウクライナで見て、聞いて、確かめたことは、きっと私をまた次の目標へと導く手助けをしてくれるだろう。
長い作文の最後の部分ですがいかがですか。心の琴線に触れる文章だと感じました。生徒の皆さんも興味があったら一度読んでみてください。
読売新聞 参照